狩野山楽・山雪展で観た、山雪の雪汀水禽図屏風、あの波の表現はなんだ・・・
衝撃でした。だって動いてるんですよ。波が。
盛り上げ胡粉と銀泥でどうやったらあんな超絶技巧が・・・もう凄すぎて頭がクラクラしました。学生時代に観ておきたかった・・・。
長年「京狩野」と「江戸狩野」をだいぶ混同していましたが、今回その違いもよく理解できました。
うーん、素晴らしかったです。本当に観に行けて良かった・・・
しかし「狩野永徳展から6年」という数字に若干驚愕をおぼえました。え、ろ・・・6ねん?
そんなに経つのかと。あれ観たの確か3年くらい前じゃなかったっけ・・・と思いましたが大学3年の時だったから・・・そうか。時の流れって恐ろしいですね。
まぁわたしは永遠の23歳なんですけど。
あと、とぼけた表情がなんともいえないフクロウの掛軸が気に入ってしまい、何回も戻っては見返していたのですが、これ・・・ポストカードはおろか何ひとつグッズ化がされていなかったので悲しかったです。・・・という旨をアンケートにもしたためました。
解説文に「かわいい系絵画」と称された(これを書いた学芸員、あんたがかわいいよ!)手長猿の絵はこれでもか!ってくらいグッズにされてたのに・・・。フクロウもあの並びだったじゃねーか!
衝撃でした。だって動いてるんですよ。波が。
盛り上げ胡粉と銀泥でどうやったらあんな超絶技巧が・・・もう凄すぎて頭がクラクラしました。学生時代に観ておきたかった・・・。
長年「京狩野」と「江戸狩野」をだいぶ混同していましたが、今回その違いもよく理解できました。
うーん、素晴らしかったです。本当に観に行けて良かった・・・
しかし「狩野永徳展から6年」という数字に若干驚愕をおぼえました。え、ろ・・・6ねん?
そんなに経つのかと。あれ観たの確か3年くらい前じゃなかったっけ・・・と思いましたが大学3年の時だったから・・・そうか。時の流れって恐ろしいですね。
まぁわたしは永遠の23歳なんですけど。
あと、とぼけた表情がなんともいえないフクロウの掛軸が気に入ってしまい、何回も戻っては見返していたのですが、これ・・・ポストカードはおろか何ひとつグッズ化がされていなかったので悲しかったです。・・・という旨をアンケートにもしたためました。
解説文に「かわいい系絵画」と称された(これを書いた学芸員、あんたがかわいいよ!)手長猿の絵はこれでもか!ってくらいグッズにされてたのに・・・。フクロウもあの並びだったじゃねーか!
大阪の中ノ島界隈が好きで、国立国際美術館によく行くのですが今回は友人と!(ここ重要)
「コレクションの誘惑」を観る。開館35周年記念展だそうだが・・・
展示数、多ッ!過去に見た作品もけっこうあったけど、こうして一堂に会して見るとまた違った印象。そして写真の収蔵が多いことに気づく。
田口和奈、米田知子、ボリス・ミハイロフ、あとマイノリティな人々を写した作品(作者が思い出せないけどダイアン・アーバスみたいな作風だった)が印象的だった。宮元隆司の「九龍城砦」シリーズは、こういうの好きな人にはたまんないよね!ってことでしばし見入る。森村泰昌の作品の前で突然隣にいたおばちゃんに話かけられたので応対するも、人見知りやら引きこもりのブランク(笑)やらで声がうわずる。ハズい・・・!
しかしおばちゃんはそんな私を気にも留めず、森村さん扮するフェルメールに感心した様子だった。そしてなにかを呟きながら足早に去っていった。
余談ですが、今日たまたま見ていた「火曜曲!」というバラエティ番組で、NYCから「人見知りをしてしまう」という相談を持ちかけられた江角マキコが、「本来、人見知りというのは幼稚園児などの子供に使う言葉で、大人になってもそれを使うのはずるい。人見知りはいわば都合のいい言葉。それを言う事で、みずから相手を遠ざけてしまっている。だからまずは人見知りっていう言葉を使うのをやめてみよう。そうしたら周りもちょっかい出しやすくなるかも」、と優しくアドバイスしていたのですが、ああなるほどなーと思いました。そうだよな。人見知りの性格はなかなか治せないとしても、言い方を変えるだけでだいぶ印象は変わるよね。例えば「私はシャイなんです」とかどうだろう。ほら、「なんだかとっつきにくいヤツ」からイッキにいい感じに!(そうか?
その後、映画「テルマエ・ロマエ」。最前列で阿部寛率いる濃いメン達の饗宴が繰り広げられる。面白かった。久々に映画館で声出して笑った。
しかし阿部寛、馴染みすぎ。初っ端ローマ人の中から見つけられなくて焦った。でもやはり黄色人種、風呂場では分かるな(笑)
「コレクションの誘惑」を観る。開館35周年記念展だそうだが・・・
展示数、多ッ!過去に見た作品もけっこうあったけど、こうして一堂に会して見るとまた違った印象。そして写真の収蔵が多いことに気づく。
田口和奈、米田知子、ボリス・ミハイロフ、あとマイノリティな人々を写した作品(作者が思い出せないけどダイアン・アーバスみたいな作風だった)が印象的だった。宮元隆司の「九龍城砦」シリーズは、こういうの好きな人にはたまんないよね!ってことでしばし見入る。森村泰昌の作品の前で突然隣にいたおばちゃんに話かけられたので応対するも、人見知りやら引きこもりのブランク(笑)やらで声がうわずる。ハズい・・・!
しかしおばちゃんはそんな私を気にも留めず、森村さん扮するフェルメールに感心した様子だった。そしてなにかを呟きながら足早に去っていった。
余談ですが、今日たまたま見ていた「火曜曲!」というバラエティ番組で、NYCから「人見知りをしてしまう」という相談を持ちかけられた江角マキコが、「本来、人見知りというのは幼稚園児などの子供に使う言葉で、大人になってもそれを使うのはずるい。人見知りはいわば都合のいい言葉。それを言う事で、みずから相手を遠ざけてしまっている。だからまずは人見知りっていう言葉を使うのをやめてみよう。そうしたら周りもちょっかい出しやすくなるかも」、と優しくアドバイスしていたのですが、ああなるほどなーと思いました。そうだよな。人見知りの性格はなかなか治せないとしても、言い方を変えるだけでだいぶ印象は変わるよね。例えば「私はシャイなんです」とかどうだろう。ほら、「なんだかとっつきにくいヤツ」からイッキにいい感じに!(そうか?
その後、映画「テルマエ・ロマエ」。最前列で阿部寛率いる濃いメン達の饗宴が繰り広げられる。面白かった。久々に映画館で声出して笑った。
しかし阿部寛、馴染みすぎ。初っ端ローマ人の中から見つけられなくて焦った。でもやはり黄色人種、風呂場では分かるな(笑)
京都国立近代美術館で開催されていた村山知義の「すべての僕が沸騰する」、行こうと思ったらすでに会期は終わっていた。
行きたかったのに・・・最近こんなのばっかりだ。
悔しい。ホントに悔しい。会期が短かったせいもあるだろうが、展覧会最終日の日曜、自宅でニコ動を観ていた自分を殴りたい。おい!美術館へ行けよ!!!!
なぜそこまでして行きたかったのかといえば、それは開催前に手に入れた展覧会のチラシに載っていた「リボンときつねとゴムまりと月」という作品を見た時のことだった。
この絵、見たことある!
その瞬間、思い出した。
幼少時、毎月購読していた「こどものとも」で読んだ物語の絵だった。話の内容は全く覚えていないが、この不思議なタッチの絵が子供心にとても印象に残っていたのだ。(こどものともって今でもあるのかな)
こういう子供の頃になにげなく見ていた絵と、大人になって偶然再会した時の驚きと喜びは、とても言葉では表せない。(懐かしさとはちょっと違うような?)
・・・って、それが再会できなかったわけだが・・・。
近々世田谷美術館に巡回するそうなので、絶対行こうと思う。
さー、きゃりーANAN聴いて明日も仕事頑張ろ。
行きたかったのに・・・最近こんなのばっかりだ。
悔しい。ホントに悔しい。会期が短かったせいもあるだろうが、展覧会最終日の日曜、自宅でニコ動を観ていた自分を殴りたい。おい!美術館へ行けよ!!!!
なぜそこまでして行きたかったのかといえば、それは開催前に手に入れた展覧会のチラシに載っていた「リボンときつねとゴムまりと月」という作品を見た時のことだった。
この絵、見たことある!
その瞬間、思い出した。
幼少時、毎月購読していた「こどものとも」で読んだ物語の絵だった。話の内容は全く覚えていないが、この不思議なタッチの絵が子供心にとても印象に残っていたのだ。(こどものともって今でもあるのかな)
こういう子供の頃になにげなく見ていた絵と、大人になって偶然再会した時の驚きと喜びは、とても言葉では表せない。(懐かしさとはちょっと違うような?)
・・・って、それが再会できなかったわけだが・・・。
近々世田谷美術館に巡回するそうなので、絶対行こうと思う。
さー、きゃりーANAN聴いて明日も仕事頑張ろ。
最近観た映画「精神」がよかった。これは精神科とその患者たちにカメラを向けたドキュメンタリー作品。しかし一般的なドキュメンタリーとは手法が少し異なり、ナレーションやテロップ、演出、音楽などは一切ない。患者たちにモザイクもかけられていない。監督がこれを「観察映画」と銘打つように、ただ彼らの日常を「観察」し、カメラを回し続けている。
以下、感想(ネタバレ含みます)
舞台となる精神外来「こらーる岡山」は、自分が想像していた精神科のイメージとかなり違っていた。精神科ときくと、閉鎖的なイメージをもたれがちだが(ましてやそこにモザイクなしでカメラが入るなんてもっての外だろう)、この病院は外観からしてなんだか風変わりだ。昭和初期を思わせる木造建築の古民家で、医師はおじいちゃん先生ただ一人と、数人のスタッフが働いている。離れにある待合室も民家の一室のようで、そこでは診察を待つ間患者同士が談笑したり、タバコをふかしてくつろいでいたり、なんともアットホームな病院らしからぬ光景だ。ここには主にうつ病、統合失調症などさまざまな「心の病」を抱える患者が通院しているが、彼らの泣いたり笑ったりしている姿を「観察」していると、精神病患者がどうのこうのというより、それはそこにいる「ひとりの人間の生き様」であり、突き詰めて考えると「はたして彼らとわれわれ健常者には、いったい何の違いがあるのだろうか」とさえ思えてくる。「うつ病の苦しみはなった者にしかわからない」と語る女性の言葉を聞くと、やっぱり彼らとの間にある「カーテン」は取り払われることはないのだろうか、と思う一方で、また別の患者の「病気がよくなってくると、健常者のこともよく見えるようになる。精神病患者であっても、健常者であっても全人的に欠陥のない人間なんていない。」と語る姿からは、正常/異常 正気/狂気 に対する自分の価値観を根底から覆してしまいそうな力さえ感じた。
しかしそんな生易しい感情も、エンドロールの「追悼」で一気に崩れ去る。この映画の撮影後に3人の患者が亡くなったという事実。これが意味するもの。鑑賞者はこの映画を見て、少なからず患者との間のカーテンが取り払われた、偏見がなくなったなどという気持ちを抱いただろう。でもそれはただの傲慢だ。このどんでん返しともいえるラストこそが、この映画のすべてだと思う。そんな簡単なもんじゃないのだ。正直、ショックだった。
そんな気持ちを引きずったまま、翌日草間彌生の展覧会「永遠の永遠の永遠」を観に行った。正直あの映画を観た後で、まともな精神状態で見られるだろうか、という懸念が少なからずあった。よりによって草間彌生、ほかの展覧会だったなら気持ちを切り替えてみることができただろうが・・・。
今回はオブジェよりも絵画作品やスケッチの展示が多いという。スケッチやドローイングからは、さぞや病的な作品世界が展開されているのだろう。しかしそんな心配も杞憂に終わった。大作が壁一面にズラーっと並べられた一連の絵画シリーズはとにかく圧巻だったし、アフリカ絵画を彷彿とさせる色彩はエネルギッシュで、80歳を過ぎた今でもその衰えることのない制作意欲がそのままキャンバスに叩きつけられたような、物凄いパワーだった。
現在彼女は精神病院に拠点を移し、そこで日々制作をしているそうだ。制作の様子を映したドキュメントでは「死ぬまで描いて、描いて、描きまくる」と意気込み、黙々と制作している姿が印象的だった。
2005年に京都で観た「永遠の現在」に比べ、立体作品が少なくて個人的には少し物足りなさを感じたが、今回初めて見た詩の作品はよかったし、そして私が彼女の作品で一番好きな鏡と電球のインスタレーションが今回もあったのだが(「魂の灯」)、最終日とあって人が多く、時間制限で10秒ほどしか見られなかったのが残念だった。しかも前回の「水上の蛍」では床に水が張られていたのに、その演出が今回は中止されたらしく、完全な状態で見られなかった。残念だけど仕方ない。
思えば私が現代美術に初めて触れたのは草間彌生だった。水上の蛍を初めて見た時(体感と言ったほうが正しいと思う)の衝撃は忘れることができない。インスタレーションというものを初めて知ったのもこの時だ。まるで宇宙に放り出されたような感覚に陥り、頭がクラクラした。あの時の衝撃体験みたいなものをもう一度味わえないだろうか。
展示を全て見終え、図録でも買って帰るかと思ったが、グッズ売り場の人の多さに辟易し、退散。なんだあの人の数は。メモ帳、キーホルダー、Tシャツ、クッキーなどとにかく種類が豊富だったが(商品化しやすいのも草間作品の魅力か?ウンナナクールのコラボ下着も意外とかわいかったし)、気力がなかった為チャリティー絵はがきだけ購入。
同館のコレクション展は現代の女性作家をテーマにしたもので、これもなかなか面白かった。中でも前から気になっていたオルランの作品が見れたのはよかった。整形手術を繰り返し、そのポートレートを作品として発表しているアーティストだが、その赤く腫れた顔がとても痛々しい。その横の、笑顔で写っている写真とのギャップがすさまじかった。
以下、感想(ネタバレ含みます)
舞台となる精神外来「こらーる岡山」は、自分が想像していた精神科のイメージとかなり違っていた。精神科ときくと、閉鎖的なイメージをもたれがちだが(ましてやそこにモザイクなしでカメラが入るなんてもっての外だろう)、この病院は外観からしてなんだか風変わりだ。昭和初期を思わせる木造建築の古民家で、医師はおじいちゃん先生ただ一人と、数人のスタッフが働いている。離れにある待合室も民家の一室のようで、そこでは診察を待つ間患者同士が談笑したり、タバコをふかしてくつろいでいたり、なんともアットホームな病院らしからぬ光景だ。ここには主にうつ病、統合失調症などさまざまな「心の病」を抱える患者が通院しているが、彼らの泣いたり笑ったりしている姿を「観察」していると、精神病患者がどうのこうのというより、それはそこにいる「ひとりの人間の生き様」であり、突き詰めて考えると「はたして彼らとわれわれ健常者には、いったい何の違いがあるのだろうか」とさえ思えてくる。「うつ病の苦しみはなった者にしかわからない」と語る女性の言葉を聞くと、やっぱり彼らとの間にある「カーテン」は取り払われることはないのだろうか、と思う一方で、また別の患者の「病気がよくなってくると、健常者のこともよく見えるようになる。精神病患者であっても、健常者であっても全人的に欠陥のない人間なんていない。」と語る姿からは、正常/異常 正気/狂気 に対する自分の価値観を根底から覆してしまいそうな力さえ感じた。
しかしそんな生易しい感情も、エンドロールの「追悼」で一気に崩れ去る。この映画の撮影後に3人の患者が亡くなったという事実。これが意味するもの。鑑賞者はこの映画を見て、少なからず患者との間のカーテンが取り払われた、偏見がなくなったなどという気持ちを抱いただろう。でもそれはただの傲慢だ。このどんでん返しともいえるラストこそが、この映画のすべてだと思う。そんな簡単なもんじゃないのだ。正直、ショックだった。
そんな気持ちを引きずったまま、翌日草間彌生の展覧会「永遠の永遠の永遠」を観に行った。正直あの映画を観た後で、まともな精神状態で見られるだろうか、という懸念が少なからずあった。よりによって草間彌生、ほかの展覧会だったなら気持ちを切り替えてみることができただろうが・・・。
今回はオブジェよりも絵画作品やスケッチの展示が多いという。スケッチやドローイングからは、さぞや病的な作品世界が展開されているのだろう。しかしそんな心配も杞憂に終わった。大作が壁一面にズラーっと並べられた一連の絵画シリーズはとにかく圧巻だったし、アフリカ絵画を彷彿とさせる色彩はエネルギッシュで、80歳を過ぎた今でもその衰えることのない制作意欲がそのままキャンバスに叩きつけられたような、物凄いパワーだった。
現在彼女は精神病院に拠点を移し、そこで日々制作をしているそうだ。制作の様子を映したドキュメントでは「死ぬまで描いて、描いて、描きまくる」と意気込み、黙々と制作している姿が印象的だった。
2005年に京都で観た「永遠の現在」に比べ、立体作品が少なくて個人的には少し物足りなさを感じたが、今回初めて見た詩の作品はよかったし、そして私が彼女の作品で一番好きな鏡と電球のインスタレーションが今回もあったのだが(「魂の灯」)、最終日とあって人が多く、時間制限で10秒ほどしか見られなかったのが残念だった。しかも前回の「水上の蛍」では床に水が張られていたのに、その演出が今回は中止されたらしく、完全な状態で見られなかった。残念だけど仕方ない。
思えば私が現代美術に初めて触れたのは草間彌生だった。水上の蛍を初めて見た時(体感と言ったほうが正しいと思う)の衝撃は忘れることができない。インスタレーションというものを初めて知ったのもこの時だ。まるで宇宙に放り出されたような感覚に陥り、頭がクラクラした。あの時の衝撃体験みたいなものをもう一度味わえないだろうか。
展示を全て見終え、図録でも買って帰るかと思ったが、グッズ売り場の人の多さに辟易し、退散。なんだあの人の数は。メモ帳、キーホルダー、Tシャツ、クッキーなどとにかく種類が豊富だったが(商品化しやすいのも草間作品の魅力か?ウンナナクールのコラボ下着も意外とかわいかったし)、気力がなかった為チャリティー絵はがきだけ購入。
同館のコレクション展は現代の女性作家をテーマにしたもので、これもなかなか面白かった。中でも前から気になっていたオルランの作品が見れたのはよかった。整形手術を繰り返し、そのポートレートを作品として発表しているアーティストだが、その赤く腫れた顔がとても痛々しい。その横の、笑顔で写っている写真とのギャップがすさまじかった。
秋は空が高いので好きです
2011年10月2日 芸術 コメント (2)誕生日にいそいそと実家に帰ったんですけど、両親からはお祝いの言葉もそこそこに、やれ「結婚はしたほうがいい」だの「子供は産んでおいた方がいい」だの、今までそんな事一度も言わなかったのに、・・・やっぱり25って年齢がそうさせるのでしょうか。
なにがともあれ焼肉は旨かった。
そんなことよりいま森美術館でやってる「メタボリズムの未来都市展」が見たいんですよ。http://www.mori.art.museum/contents/metabolism/index.html
1年ほど前から日本の近代建築に興味を持ち始め、それこそ昭和初期のモダン情緒あふれる洋館テイストのものから、京都によくあるような町家、はたまた昔の赤線建築(これについてはまた別の機会にお話ししたいほど・・・!)を趣味で見て回ってたのですが、今年の夏、引っ越し先の近所でなんともいえない奇抜な形をしたマンションがあったので調べてみたら、それは「メタボリズム」という建築運動の流れを汲んだデザインであったことが分かったのでした。多分学生の時に日本建築史かなんかで出てきたんだろうけど、当時まともに授業を受けていなかったので全く知らなかったわけですが。なんでも高度経済成長時に、建築家黒川紀章らが提唱したもので、ちなみにメタボリズムとは本来、新陳代謝を意味する医学用語だとか。それを建築に置き換えるとああなるのか。代表的なのは中銀カプセルタワー、ああ、テレビで見たことある。あれがそうだったのか。すごいインパクトだよな・・・。ちょうど大阪万博の頃ですね。余談ですが大阪万博は行ってみたかったな。人類の進歩と調和。その答えがメタボリズムの中にもあったんでしょうか。
でもこのカプセルタワー、老朽化とアスベストの問題で、取り壊しが決定しているそうなんですが(訴訟中?)、今もまだあるんだろうか。
なにがともあれ焼肉は旨かった。
そんなことよりいま森美術館でやってる「メタボリズムの未来都市展」が見たいんですよ。http://www.mori.art.museum/contents/metabolism/index.html
1年ほど前から日本の近代建築に興味を持ち始め、それこそ昭和初期のモダン情緒あふれる洋館テイストのものから、京都によくあるような町家、はたまた昔の赤線建築(これについてはまた別の機会にお話ししたいほど・・・!)を趣味で見て回ってたのですが、今年の夏、引っ越し先の近所でなんともいえない奇抜な形をしたマンションがあったので調べてみたら、それは「メタボリズム」という建築運動の流れを汲んだデザインであったことが分かったのでした。多分学生の時に日本建築史かなんかで出てきたんだろうけど、当時まともに授業を受けていなかったので全く知らなかったわけですが。なんでも高度経済成長時に、建築家黒川紀章らが提唱したもので、ちなみにメタボリズムとは本来、新陳代謝を意味する医学用語だとか。それを建築に置き換えるとああなるのか。代表的なのは中銀カプセルタワー、ああ、テレビで見たことある。あれがそうだったのか。すごいインパクトだよな・・・。ちょうど大阪万博の頃ですね。余談ですが大阪万博は行ってみたかったな。人類の進歩と調和。その答えがメタボリズムの中にもあったんでしょうか。
でもこのカプセルタワー、老朽化とアスベストの問題で、取り壊しが決定しているそうなんですが(訴訟中?)、今もまだあるんだろうか。
◆「ぴあ関西版 休刊へ」
おい!!俺の情報源・・・!!
どうしてくれんだ・・・ビジツテチョウには京都のちっちゃいギャラリーの情報なんて載ってないんだぞ!
・・・今まで立ち読みで済ましててすいませんでした。(だからだよ
◆あいちトリエンナーレ行きたい・・・
瀬戸内芸術祭も気になるけれど、金銭的にきついな・・・あと時間・・・
そういえば大学1年のころクラスの友達と行ったなあ、直島。
現代アートの予備知識まったくなしに行ったので現地では何見てもポカーンでしたが、強烈に印象に残った作品が幾つかありました。陳腐な表現だけどアート作品を「身体で感じた」瞬間でした。そしてここから須田悦弘さんの大ファンになってしまったのでした。彫刻の美しさもさることながら、なんといってもあの独特の「間」がたまらない・・・。なんというか、自分が立体できないから彫刻とか立体物(+創ってる人)に物凄い憧れを抱いてしまう。
直島は美術館のほかにも、島のいたるところに作品が点在してるので、宝探し感覚で作品鑑賞ができるのがいいですね・・・って書いてたらますます行きたくなってきた・・・今暑いだろうなあ、ああでも夏の瀬戸内海、見たい。
◆明日はポケモンを予約するのだ!
おい!!俺の情報源・・・!!
どうしてくれんだ・・・ビジツテチョウには京都のちっちゃいギャラリーの情報なんて載ってないんだぞ!
・・・今まで立ち読みで済ましててすいませんでした。(だからだよ
◆あいちトリエンナーレ行きたい・・・
瀬戸内芸術祭も気になるけれど、金銭的にきついな・・・あと時間・・・
そういえば大学1年のころクラスの友達と行ったなあ、直島。
現代アートの予備知識まったくなしに行ったので現地では何見てもポカーンでしたが、強烈に印象に残った作品が幾つかありました。陳腐な表現だけどアート作品を「身体で感じた」瞬間でした。そしてここから須田悦弘さんの大ファンになってしまったのでした。彫刻の美しさもさることながら、なんといってもあの独特の「間」がたまらない・・・。なんというか、自分が立体できないから彫刻とか立体物(+創ってる人)に物凄い憧れを抱いてしまう。
直島は美術館のほかにも、島のいたるところに作品が点在してるので、宝探し感覚で作品鑑賞ができるのがいいですね・・・って書いてたらますます行きたくなってきた・・・今暑いだろうなあ、ああでも夏の瀬戸内海、見たい。
◆明日はポケモンを予約するのだ!
先週の話になりますが、国立国際美術館で会田誠が公開制作なんて粋なことをやってまして、これはもう観に行くしかねえと思って慣れない京阪電車に乗って中乃島までやってきました。
この時同じ会場ではあのルノワールの展覧会が開催されていて、会田を観に来た側から言うと、よりによって、ルノワール・・・(笑)。
美術史に名を残し、一般大衆から今もなお愛され続けている巨匠ルノワールと、「美少女」「エログロ」「戦争画」などのイメージばかりが先行する、日本の現代美術界にとって(いろんな意味で)危険なアーティストである会田が同じ会場にいるという奇蹟・・・このギャップに笑いを堪えずにはいられません。
たまたま時期がそうなっただけなのかもしれないけれど、これも「確信犯」会田誠のなせるワザか?それとも単なる学芸員のイジメか(笑)
どっちにしろ面白いからいいけど。GJ国立国際。
上司から頂いたタダ券があったのでルノワールも(ついでに)観ようと思い、会場に入ったのですが、30分くらいで切り上げてしまいました。いやだってね、人が多すぎて全然観れなかったんですよ。列がなかなか進まなくって。もっとゆっくりじっくり観たかったんですけど。
・・・っていうのは建前で、ルノの美しい少女の絵を見るたびに頭の片隅で会田のスクール水着の少女の姿がチラつき、もう全然集中できなかったんです。会田てめえこのやろう。でもまあいいさ。ルノワールなんていつでも観れるんだから。今回展示されてたのも、半分くらい以前どっか別の展覧会で見たやつだったし、いいんだ!うん、だから早く会田を観に行こう。
会田の公開制作はルノの会場のひとつ上の階で行われており、ここの階では故・荒川修作の企画展「死なないための埋葬」が催されていました。
なんだかややこしいけれど、要は荒川修作の展示室の隣の部屋で、会田がひっそりと公開制作をしているという、ただそれだけの話です。
作品は「滝の絵」という、スクール水着の少女たちが滝の中で戯れている絵。数年前に上野の森美術館で展示され、観に行ったのですがその時は未完だったため、その後も加筆をしたもののやっぱり終わらなかったらしく、今回ここに場所を借りて公開制作をするに至ったとのこと。
はやる気持ちを抑えながら展示室に入ると、そこには昇降機に乗ってノリノリで絵筆を動かす会田の姿が。
Tシャツに短パン、サンダル。写真で見るいつものラフな格好。Tシャツの背中には「るの。」と絵の具で描かれている。思わず口元が緩んでしまう・・・
お客さんがけっこういたのには驚きました。10数人の観客が入れ替わり立ち替わり、制作を観に来るという感じで、会田を知って観に来ているであろう学生とおぼしき若者、いぶかしげに絵を眺める初老の男性、おばちゃんのグループ・・・そのほとんどがルノワール展のついでに観に来たであろう人たち・・・だったと思うのですが、意外に(?)好評だったような気が。みんな作家の仕事に興味津々。会田さん(ここから「さん」を付けます)はひたすら黙々と制作。たまになんか独り言を言っている(笑)
私は1時間くらいベンチに座って眺めていたのですが、だんだんと「ただ見て帰るだけでは勿体無い、本人と話したい・・・!」という(半ばミーハーな)欲求が生まれ、会田さんが筆を置いて休憩に入った時に、意を決して話しかけました。(極度の人見知りな私ですが、「美術系」の人に対しては無条件に自分から話しかけることが出来るという、謎のスペックをここぞとばかりに発揮しました)
緊張と興奮で何を話したかあまり覚えていないのですが、作品について幾つか質問をさせていただきました。
会田さんはとても気さくな感じで、拙い質問にも丁寧に答えてくださり、おまけにこれからこの絵をどう進めていくかというような具体的なことまで説明してくれました。
「うーんでもこれ正直、間に合いそうにないんですよね~やばいなあ~」
そういって頭をボリボリ掻く姿がなんか印象的でした。
いやー凄かったです。芸術家のオーラ、とか書くとなんともうさんくさいですが、目の輝きが違いました。
って、読み返してみたらただのファンのレポートじゃねえかよ!まあいいか・・・
この時同じ会場ではあのルノワールの展覧会が開催されていて、会田を観に来た側から言うと、よりによって、ルノワール・・・(笑)。
美術史に名を残し、一般大衆から今もなお愛され続けている巨匠ルノワールと、「美少女」「エログロ」「戦争画」などのイメージばかりが先行する、日本の現代美術界にとって(いろんな意味で)危険なアーティストである会田が同じ会場にいるという奇蹟・・・このギャップに笑いを堪えずにはいられません。
たまたま時期がそうなっただけなのかもしれないけれど、これも「確信犯」会田誠のなせるワザか?それとも単なる学芸員のイジメか(笑)
どっちにしろ面白いからいいけど。GJ国立国際。
上司から頂いたタダ券があったのでルノワールも(ついでに)観ようと思い、会場に入ったのですが、30分くらいで切り上げてしまいました。いやだってね、人が多すぎて全然観れなかったんですよ。列がなかなか進まなくって。もっとゆっくりじっくり観たかったんですけど。
・・・っていうのは建前で、ルノの美しい少女の絵を見るたびに頭の片隅で会田のスクール水着の少女の姿がチラつき、もう全然集中できなかったんです。会田てめえこのやろう。でもまあいいさ。ルノワールなんていつでも観れるんだから。今回展示されてたのも、半分くらい以前どっか別の展覧会で見たやつだったし、いいんだ!うん、だから早く会田を観に行こう。
会田の公開制作はルノの会場のひとつ上の階で行われており、ここの階では故・荒川修作の企画展「死なないための埋葬」が催されていました。
なんだかややこしいけれど、要は荒川修作の展示室の隣の部屋で、会田がひっそりと公開制作をしているという、ただそれだけの話です。
作品は「滝の絵」という、スクール水着の少女たちが滝の中で戯れている絵。数年前に上野の森美術館で展示され、観に行ったのですがその時は未完だったため、その後も加筆をしたもののやっぱり終わらなかったらしく、今回ここに場所を借りて公開制作をするに至ったとのこと。
はやる気持ちを抑えながら展示室に入ると、そこには昇降機に乗ってノリノリで絵筆を動かす会田の姿が。
Tシャツに短パン、サンダル。写真で見るいつものラフな格好。Tシャツの背中には「るの。」と絵の具で描かれている。思わず口元が緩んでしまう・・・
お客さんがけっこういたのには驚きました。10数人の観客が入れ替わり立ち替わり、制作を観に来るという感じで、会田を知って観に来ているであろう学生とおぼしき若者、いぶかしげに絵を眺める初老の男性、おばちゃんのグループ・・・そのほとんどがルノワール展のついでに観に来たであろう人たち・・・だったと思うのですが、意外に(?)好評だったような気が。みんな作家の仕事に興味津々。会田さん(ここから「さん」を付けます)はひたすら黙々と制作。たまになんか独り言を言っている(笑)
私は1時間くらいベンチに座って眺めていたのですが、だんだんと「ただ見て帰るだけでは勿体無い、本人と話したい・・・!」という(半ばミーハーな)欲求が生まれ、会田さんが筆を置いて休憩に入った時に、意を決して話しかけました。(極度の人見知りな私ですが、「美術系」の人に対しては無条件に自分から話しかけることが出来るという、謎のスペックをここぞとばかりに発揮しました)
緊張と興奮で何を話したかあまり覚えていないのですが、作品について幾つか質問をさせていただきました。
会田さんはとても気さくな感じで、拙い質問にも丁寧に答えてくださり、おまけにこれからこの絵をどう進めていくかというような具体的なことまで説明してくれました。
「うーんでもこれ正直、間に合いそうにないんですよね~やばいなあ~」
そういって頭をボリボリ掻く姿がなんか印象的でした。
いやー凄かったです。芸術家のオーラ、とか書くとなんともうさんくさいですが、目の輝きが違いました。
って、読み返してみたらただのファンのレポートじゃねえかよ!まあいいか・・・
なぜだろう 近美はいつも すいている
2010年6月5日 芸術◆稲垣仲静・稔次郎兄弟展/ローマ追想―19世紀写真と旅◆京都国立近代美術館
仲静の日本画。
陶磁器のような滑らかな毛並みをした猫が、こっちを見ている。
描かれた花や動物たちは、生命感に溢れた・・・というよりかはもっとひっそりと研ぎ澄まされた、独特のオーラを纏っている。なんだかそこに無性に惹き付けられる。
またモチーフが人間に変わるとそれが顕著に・・・(笑)
リアルな肌の質感といい、歪んだ口元のかたちといい・・・
甲斐庄楠音の不気味な舞妓さんを髣髴とさせる。怖い。
でもどこまでも写実的。素描が多く展示されていたけど、どれも凄い。
特に裸婦デッサンがもう・・・。正直、あの当時の日本画家でここまで描ける人がいたことに驚いたし、感動があとからあとから押し寄せてきて・・・。何度も裸婦だけ見に戻ってたので監視員の視線がかなり痛かったなあ。しかし金払ってんだから何度見に戻ったっていいだろ!だってすごいんだもんあのデッサン。なにあの重量感・・・
稔次郎さんの方の染織は、あれ好きなひとにはたまらないだろうなあ。
切り絵やってた同級生を思い出した。
25歳で急逝した兄の想いを受け継いだというこの兄弟展。見応えはかなりあった。
図録がコンパクトでおしゃれ。少し物足りないけど本棚にやさしい設計^^
ローマ展は一緒に見ると割引を受けられるというのでついでに見ることに。かなり駆け足だったけど・・・改めてみるとローマって凄いよなあ。コロッセウムとか、お城とか水道橋とか(名前をことごとく忘れてしまった)今でも残ってんだから。19世紀ってことで、当時の人々の服装とかもなんかいい。会場で、当時の街中を映した映像が流れていたけれど、それをボーっと眺めながら「ここに映っている人たちは、今はもうみんな死んでしまっていないんだろうなあ・・・」なんてことを考えたりした。
(昔の白黒の記録映画とかを見るたびにこんなことを考えてしまう。こういう映像って再生スピードの関係なのか、人の動きとかやたら早くて、形容しづらいけどあの独特の速さと感じ、なんか見るたびに刹那的ななにかをおぼえるんだよなあ・・・なんなんだろうなあれは。)
帰りにアニメイトに寄ったら、土曜日だからかめちゃくちゃ混んでいた。お目当ての漫画ゲット。
横で背広を着たサラリーマンが、新刊のマンガを片っ端からカゴにつめていた。大人買いうらやましい。仕事終わったその足で来たんだろうな・・・お疲れ様です!
仲静の日本画。
陶磁器のような滑らかな毛並みをした猫が、こっちを見ている。
描かれた花や動物たちは、生命感に溢れた・・・というよりかはもっとひっそりと研ぎ澄まされた、独特のオーラを纏っている。なんだかそこに無性に惹き付けられる。
またモチーフが人間に変わるとそれが顕著に・・・(笑)
リアルな肌の質感といい、歪んだ口元のかたちといい・・・
甲斐庄楠音の不気味な舞妓さんを髣髴とさせる。怖い。
でもどこまでも写実的。素描が多く展示されていたけど、どれも凄い。
特に裸婦デッサンがもう・・・。正直、あの当時の日本画家でここまで描ける人がいたことに驚いたし、感動があとからあとから押し寄せてきて・・・。何度も裸婦だけ見に戻ってたので監視員の視線がかなり痛かったなあ。しかし金払ってんだから何度見に戻ったっていいだろ!だってすごいんだもんあのデッサン。なにあの重量感・・・
稔次郎さんの方の染織は、あれ好きなひとにはたまらないだろうなあ。
切り絵やってた同級生を思い出した。
25歳で急逝した兄の想いを受け継いだというこの兄弟展。見応えはかなりあった。
図録がコンパクトでおしゃれ。少し物足りないけど本棚にやさしい設計^^
ローマ展は一緒に見ると割引を受けられるというのでついでに見ることに。かなり駆け足だったけど・・・改めてみるとローマって凄いよなあ。コロッセウムとか、お城とか水道橋とか(名前をことごとく忘れてしまった)今でも残ってんだから。19世紀ってことで、当時の人々の服装とかもなんかいい。会場で、当時の街中を映した映像が流れていたけれど、それをボーっと眺めながら「ここに映っている人たちは、今はもうみんな死んでしまっていないんだろうなあ・・・」なんてことを考えたりした。
(昔の白黒の記録映画とかを見るたびにこんなことを考えてしまう。こういう映像って再生スピードの関係なのか、人の動きとかやたら早くて、形容しづらいけどあの独特の速さと感じ、なんか見るたびに刹那的ななにかをおぼえるんだよなあ・・・なんなんだろうなあれは。)
帰りにアニメイトに寄ったら、土曜日だからかめちゃくちゃ混んでいた。お目当ての漫画ゲット。
横で背広を着たサラリーマンが、新刊のマンガを片っ端からカゴにつめていた。大人買いうらやましい。仕事終わったその足で来たんだろうな・・・お疲れ様です!
◆植田正治写真展 写真とボク(美術館「えき」KYOTO)◆
よく「写真のような絵だ」という表現をするけれど、植田正治の写真は「まるで絵のような写真」。
計算し尽くされた徹底的な演出をしているにもかかわらず、被写体はそれを超えて、このモノクロームの世界がどこまでも自然で身近なものに感じてしまうから不思議だ。
それは家族や住み慣れた街の風景をモチーフにしているからなのか。どこか懐かしく、でもどこにもないような、見ていると不思議な感覚に陥る。
「演出いっさい無しの徹底したリアリズムを追究する」ことが当たり前、という当時の写真の常識にとらわれず、でも決して奇をてらわないというか、要は好き勝手楽しく撮ってたんですよね。でもそれが一番(笑)
砂丘の中の家族の写真がよかった。砂丘、見たいなあ・・・
「小さい漂流者」という、浜辺に配置された流木たちの作品。まるでダリの絵のようだ。流木の造形がおかしくて、生きもののよう。写真は真実しか写さないハズなのに、こうやっていとも簡単に「超現実」しちゃうとは。だから植田正治だけでなく、写真家ってすごいなーと思う。こういうの見てると、じゃあ絵画の役割ってなんなのかなあとか思ってしまう。それについては今ここで考えるべきことではないけれど。
「写真なんてただの記録じゃん・・・」とか思っている人はきっと損をしているから、植田正治なんかを見ておくと写真に対する意識がガラッと変わるかもしれない。私はかなり変わりました。
会場でトイカメラがいっぱい売っていてこのやろうと思った。カメラ少女を増やそうとしているな。このやろう。
よく「写真のような絵だ」という表現をするけれど、植田正治の写真は「まるで絵のような写真」。
計算し尽くされた徹底的な演出をしているにもかかわらず、被写体はそれを超えて、このモノクロームの世界がどこまでも自然で身近なものに感じてしまうから不思議だ。
それは家族や住み慣れた街の風景をモチーフにしているからなのか。どこか懐かしく、でもどこにもないような、見ていると不思議な感覚に陥る。
「演出いっさい無しの徹底したリアリズムを追究する」ことが当たり前、という当時の写真の常識にとらわれず、でも決して奇をてらわないというか、要は好き勝手楽しく撮ってたんですよね。でもそれが一番(笑)
砂丘の中の家族の写真がよかった。砂丘、見たいなあ・・・
「小さい漂流者」という、浜辺に配置された流木たちの作品。まるでダリの絵のようだ。流木の造形がおかしくて、生きもののよう。写真は真実しか写さないハズなのに、こうやっていとも簡単に「超現実」しちゃうとは。だから植田正治だけでなく、写真家ってすごいなーと思う。こういうの見てると、じゃあ絵画の役割ってなんなのかなあとか思ってしまう。それについては今ここで考えるべきことではないけれど。
「写真なんてただの記録じゃん・・・」とか思っている人はきっと損をしているから、植田正治なんかを見ておくと写真に対する意識がガラッと変わるかもしれない。私はかなり変わりました。
会場でトイカメラがいっぱい売っていてこのやろうと思った。カメラ少女を増やそうとしているな。このやろう。
今日は京都アートダイブというアートイベントに行ってきました。
若手アーティストやクリエイターがそれぞれブース内で作品を発表・展示・販売をするというもの。東京のデザインフェスタみたいな感じに近いのかな。
たまたまネットで開催を知ったのですが、そういえば最近、同世代の人の作品というものをまったくと言っていいほど見ておらず、危機感も感じていたのでちょうどよい機会でした。
会場は東山・岡崎公園内のみやこめっせ。会場自体は思ったほど広くはなかったのですが出展ブースが170と見応えはあり。
平面作品、特にイラストレーションが多く、ポストカードをいくつか購入。
雑貨を販売してるところも多かった。
ブースの壁にライブペインティングをする作家の姿も。がっつりファインアート!という印象のブースは少なく全体的にやっぱイラスト・デザイン寄りな印象でした。客層も10~20代が圧倒的に多かった。
作家さんはみんな創作のエネルギーに満ち溢れている人ばかりで、「わたしの作品を見てくれ!!!!」といわんばかりのオーラ。かなり圧倒された。気さくな人が多くて作家さんとのお話も弾みました。楽しかった。なんかこういう雰囲気、この感じ、久しぶり。
やっぱり発表して社会と、人と関わりを持たなければダメだよねえ、アートは。と猛省しながらバイトへ向かう。
んでレジしてたらそこにN先生がやってきたわけで・・・(笑
なんだ今日はそういう日だったのか?
若手アーティストやクリエイターがそれぞれブース内で作品を発表・展示・販売をするというもの。東京のデザインフェスタみたいな感じに近いのかな。
たまたまネットで開催を知ったのですが、そういえば最近、同世代の人の作品というものをまったくと言っていいほど見ておらず、危機感も感じていたのでちょうどよい機会でした。
会場は東山・岡崎公園内のみやこめっせ。会場自体は思ったほど広くはなかったのですが出展ブースが170と見応えはあり。
平面作品、特にイラストレーションが多く、ポストカードをいくつか購入。
雑貨を販売してるところも多かった。
ブースの壁にライブペインティングをする作家の姿も。がっつりファインアート!という印象のブースは少なく全体的にやっぱイラスト・デザイン寄りな印象でした。客層も10~20代が圧倒的に多かった。
作家さんはみんな創作のエネルギーに満ち溢れている人ばかりで、「わたしの作品を見てくれ!!!!」といわんばかりのオーラ。かなり圧倒された。気さくな人が多くて作家さんとのお話も弾みました。楽しかった。なんかこういう雰囲気、この感じ、久しぶり。
やっぱり発表して社会と、人と関わりを持たなければダメだよねえ、アートは。と猛省しながらバイトへ向かう。
んでレジしてたらそこにN先生がやってきたわけで・・・(笑
なんだ今日はそういう日だったのか?
キトラ古墳の四神を見に、奈良県は明日香村へ行って来ました。
あ す か・・・!良かった。
話題のキトラ古墳もさることながら、なんといっても自 然 が ・・・!
なんだあの澄んだ空気は。空の高さは・・・!
明日香村に行くのは初めてだったんですが、あまりの良さにこれは後日またレンタサイクルでじっくりゆっくり見て回りたいぞ!(チラッ←相方
キトラは観光客多いんだろうなあ・・・と覚悟してたんですが、まったく混雑することなくスムーズに見ることができました。細部までバッチリ見れたぜ!
古代史にはとことん疎いので気の利いた感想はなにも言えませんが、よくぞまあこんな絵が残っていたもんだ・・・青竜は涙目だったけどあとの3つの壁画はほぼ完全な形で残ってるのを見て、墨や顔料ってここまで強靭なものなのか。うーん凄い・・・天文図には金箔まで使われてたっていうのがなんとも・・・
その後万葉文化館で開催中の平山郁夫展へ。
個人的に平山郁夫=院展のドン=日本画壇ヒエラルキーの頂点=すごい人 くらいの認識しかない。作品は何度も見てるけど「すごいなー」以上の感想を持ったことが今までなかった。
でも今回は違った。
平山郁夫の絵に感動したのは初めてかもしれない。
照明の当て方。
これが素晴らしかった。
完璧だ。それが顕著に表れていたのが屏風の作品で、そのひとつひとつを説明するのは非常に難しいのだけれど
今まで自分が数々の展覧会場で見てきた平山郁夫の絵はいったいなんだったんだろう、ってくらい光の当て方がうまかった。
照明ひとつでこんなに印象が変わるとは。
屏風の特性、金箔の特性、日本画の特性、すべてをわかりきった人じゃないとこんな展示はできない。
ここの学芸員さんはすごい。平山郁夫に特別な思い入れでもあるのだろうか(笑)
会場内もちょっと暗くて、日本画を鑑賞するのに適した環境だった(というより日本画を展示するのに特化した美術館と言った方がいいのかもしれない、実際常設なんかも日本画が多いみたいだし)
うーん・・・久しぶりに「展示のよさ」を味わえた。
万葉文化館、常設展示もおもしろかった。万葉文化について学べます。万葉びとのなんと奥ゆかしいことよ・・・^^
そういえばキトラの時からだったけど、鑑賞中やたらと近くのおばちゃんおじちゃんに話しかけられた。郁夫のときなんか隣のオッサンに「この絵なに?魚?」みたいな笑 別のオッサンには郁夫へのアツい想いまで語られたしなあ・・・
関西の人ってほんとフレンドリーですよね。うん、いいとおもう笑
家族へのおみやげに「せんとくんクッキー」を買って帰ったんですが、あまり喜ばれませんでした(ショック^^^^^^^
R8さんへ
・mdkまで全力疾走してくれたのに不発に終わってサーセンwwwwwwwww
・夜ごはんで飲んだあの1杯で実はかなり酔っていた俺
・せんとくんとの2ショットその他モロモロの写真、よかったら送ってさしあげるのでPCのアドレス教えてください(ちょw
あ す か・・・!良かった。
話題のキトラ古墳もさることながら、なんといっても自 然 が ・・・!
なんだあの澄んだ空気は。空の高さは・・・!
明日香村に行くのは初めてだったんですが、あまりの良さにこれは後日またレンタサイクルでじっくりゆっくり見て回りたいぞ!(チラッ←相方
キトラは観光客多いんだろうなあ・・・と覚悟してたんですが、まったく混雑することなくスムーズに見ることができました。細部までバッチリ見れたぜ!
古代史にはとことん疎いので気の利いた感想はなにも言えませんが、よくぞまあこんな絵が残っていたもんだ・・・青竜は涙目だったけどあとの3つの壁画はほぼ完全な形で残ってるのを見て、墨や顔料ってここまで強靭なものなのか。うーん凄い・・・天文図には金箔まで使われてたっていうのがなんとも・・・
その後万葉文化館で開催中の平山郁夫展へ。
個人的に平山郁夫=院展のドン=日本画壇ヒエラルキーの頂点=すごい人 くらいの認識しかない。作品は何度も見てるけど「すごいなー」以上の感想を持ったことが今までなかった。
でも今回は違った。
平山郁夫の絵に感動したのは初めてかもしれない。
照明の当て方。
これが素晴らしかった。
完璧だ。それが顕著に表れていたのが屏風の作品で、そのひとつひとつを説明するのは非常に難しいのだけれど
今まで自分が数々の展覧会場で見てきた平山郁夫の絵はいったいなんだったんだろう、ってくらい光の当て方がうまかった。
照明ひとつでこんなに印象が変わるとは。
屏風の特性、金箔の特性、日本画の特性、すべてをわかりきった人じゃないとこんな展示はできない。
ここの学芸員さんはすごい。平山郁夫に特別な思い入れでもあるのだろうか(笑)
会場内もちょっと暗くて、日本画を鑑賞するのに適した環境だった(というより日本画を展示するのに特化した美術館と言った方がいいのかもしれない、実際常設なんかも日本画が多いみたいだし)
うーん・・・久しぶりに「展示のよさ」を味わえた。
万葉文化館、常設展示もおもしろかった。万葉文化について学べます。万葉びとのなんと奥ゆかしいことよ・・・^^
そういえばキトラの時からだったけど、鑑賞中やたらと近くのおばちゃんおじちゃんに話しかけられた。郁夫のときなんか隣のオッサンに「この絵なに?魚?」みたいな笑 別のオッサンには郁夫へのアツい想いまで語られたしなあ・・・
関西の人ってほんとフレンドリーですよね。うん、いいとおもう笑
家族へのおみやげに「せんとくんクッキー」を買って帰ったんですが、あまり喜ばれませんでした(ショック^^^^^^^
R8さんへ
・mdkまで全力疾走してくれたのに不発に終わってサーセンwwwwwwwww
・夜ごはんで飲んだあの1杯で実はかなり酔っていた俺
・せんとくんとの2ショットその他モロモロの写真、よかったら送ってさしあげるのでPCのアドレス教えてください(ちょw
長谷川等伯展、観に行ってきました。会期ギリギリ。
覚悟はしていたけれどすごい人。京博はなんでいつもああ混むんだろう、ゆっくり観れたためしがない。
入って2室目くらいまでは人が多すぎてじっくり観るのを断念。(細かいところは図録で補完する
仏陀涅槃図のデカさに圧倒された。5,6メートルはゆうにあるだろこれ。掛軸というよりもはや横断幕wでかい。壁から吊り下げてあるんだけどあまりのデカさに床についちゃうもんだから、途中から展示台に乗せるような形で展示されていた。
これだと変な遠近感がついて見づらいんだけど、コレはコレでなんかしっくりくるので問題ない気がした。こうするより他なかったんだろうな。自分でも展示方法を考えてみたけど、あまり高い位置から吊るしても余計見づらいだけだしなあ。会場も狭いからあまり後ろに退いて観ることもできないし、となるとやっぱりあれがベストなのだろう。学芸員さん本当にお疲れ様です。(観た人にしか伝わらないですね・・・)
驚くべきはこれが61歳の作ってことですよね。等伯さんパネエッす!
涅槃図を見るたびに思い出すのが仏陀の死因である食中毒(食あたり?)で、なんだかやるせない気持ちになる。(お弟子さんが差し出した食べ物にあたったんでしたっけ?うろ覚え・・・
これから暑くなるにつれて、食べ物も腐りやすくなるので食中毒にはみなさん気をつけましょう。
それにしても作品を見ていると、脆弱な日本絵画がこうして現代に(完璧な形ではないにしろ)残っていること自体が奇蹟としか思えない。もちろんその背景には先人達が必死な思いで守り抜いてきた歴史があるわけだけど、「文化を継承する」って簡単にいうけど、実はとても難しいことなんじゃないか。
芸術作品だけじゃなく、歴史、文化、形あるもの無いものすべてに言えることだけれど。
覚悟はしていたけれどすごい人。京博はなんでいつもああ混むんだろう、ゆっくり観れたためしがない。
入って2室目くらいまでは人が多すぎてじっくり観るのを断念。(細かいところは図録で補完する
仏陀涅槃図のデカさに圧倒された。5,6メートルはゆうにあるだろこれ。掛軸というよりもはや横断幕wでかい。壁から吊り下げてあるんだけどあまりのデカさに床についちゃうもんだから、途中から展示台に乗せるような形で展示されていた。
これだと変な遠近感がついて見づらいんだけど、コレはコレでなんかしっくりくるので問題ない気がした。こうするより他なかったんだろうな。自分でも展示方法を考えてみたけど、あまり高い位置から吊るしても余計見づらいだけだしなあ。会場も狭いからあまり後ろに退いて観ることもできないし、となるとやっぱりあれがベストなのだろう。学芸員さん本当にお疲れ様です。(観た人にしか伝わらないですね・・・)
驚くべきはこれが61歳の作ってことですよね。等伯さんパネエッす!
涅槃図を見るたびに思い出すのが仏陀の死因である食中毒(食あたり?)で、なんだかやるせない気持ちになる。(お弟子さんが差し出した食べ物にあたったんでしたっけ?うろ覚え・・・
これから暑くなるにつれて、食べ物も腐りやすくなるので食中毒にはみなさん気をつけましょう。
それにしても作品を見ていると、脆弱な日本絵画がこうして現代に(完璧な形ではないにしろ)残っていること自体が奇蹟としか思えない。もちろんその背景には先人達が必死な思いで守り抜いてきた歴史があるわけだけど、「文化を継承する」って簡単にいうけど、実はとても難しいことなんじゃないか。
芸術作品だけじゃなく、歴史、文化、形あるもの無いものすべてに言えることだけれど。
クリスマス終了。やれやれだぜ
2009年12月26日 芸術クリスマス。友人と京都で遊んできた。
まーーーーカップルの多いこと!(ねたむなw
おまえら・・・普段は家でひきこもってるくせに(断定)なんでこんな時だけゾロゾロ街へ繰り出してんだよ!
等間隔に並ぶ『鴨川カップル』を見て、誰かが「こんなクソ寒い中よくあんなところに居れるなあ」と言っていたのを聞いて吹きそうになった。
大丈夫。あの人たちは寒くないんです。あったかいんです。
そんなわけで、カッポーたちがにゃんにゃんしている間、私は友人と美術館に行き、アイヌ民族への知識と理解を深めてやったぜ・・・!
アイヌの民族衣装や生活道具、アクセサリーなどが展示してあったのですが、そのあまりの美しさに大興奮。服や道具に刻まれた刺繍や文様が独特で印象に残りました。これぞアイヌの美意識というのだろうか、独自の文化を築いてきたんだなあ・・・しかしあの服はどうやって着るんだろう・・・。あれ1枚じゃ確実に凍死するし、下に何枚も着るんだろうな。その辺をもっと詳しく知りたかった。
あと『アイヌ語検定』なんてもんがあるんですね。初めて知りました。
北海道の地名にはアイヌ語からきているものがたくさんあると聞くし、ちょっと勉強してみるのも面白いかもしれない。
その後は映画『のだめカンタービレ』
・・・なにこのデジャブ
ネタバレを含むので以下反転
途中まではエンターテインメント満載の楽しい話だったのですが
マルレオケで千秋先輩が大成功を収めるあたりから、見ていられなくなりましたwwwwwwwwwwww
大歓声に客が沸く中、ひとりうつむき涙を流すのだめ
「ずるい・・・」
「のだめだって前に進まないと!先生、コンクールに出させてください!バッハだってあんなあっさり抜かれちゃって・・・」
オクレール先生「ベーべちゃん、彼とは距離を置いた方がいいよ」
◆とどめ◆
予告「怖いんです・・・先輩のこと好きでいられなくなりそうで」
これはきつい
ああ、確か原作もそうだった・・・
これ後編見るの勇気要るな(どんだけ
パリの街並み、キレイだったなあ・・・!(泣
まーーーーカップルの多いこと!(ねたむなw
おまえら・・・普段は家でひきこもってるくせに(断定)なんでこんな時だけゾロゾロ街へ繰り出してんだよ!
等間隔に並ぶ『鴨川カップル』を見て、誰かが「こんなクソ寒い中よくあんなところに居れるなあ」と言っていたのを聞いて吹きそうになった。
大丈夫。あの人たちは寒くないんです。あったかいんです。
そんなわけで、カッポーたちがにゃんにゃんしている間、私は友人と美術館に行き、アイヌ民族への知識と理解を深めてやったぜ・・・!
アイヌの民族衣装や生活道具、アクセサリーなどが展示してあったのですが、そのあまりの美しさに大興奮。服や道具に刻まれた刺繍や文様が独特で印象に残りました。これぞアイヌの美意識というのだろうか、独自の文化を築いてきたんだなあ・・・しかしあの服はどうやって着るんだろう・・・。あれ1枚じゃ確実に凍死するし、下に何枚も着るんだろうな。その辺をもっと詳しく知りたかった。
あと『アイヌ語検定』なんてもんがあるんですね。初めて知りました。
北海道の地名にはアイヌ語からきているものがたくさんあると聞くし、ちょっと勉強してみるのも面白いかもしれない。
その後は映画『のだめカンタービレ』
・・・なにこのデジャブ
ネタバレを含むので以下反転
途中まではエンターテインメント満載の楽しい話だったのですが
マルレオケで千秋先輩が大成功を収めるあたりから、見ていられなくなりましたwwwwwwwwwwww
大歓声に客が沸く中、ひとりうつむき涙を流すのだめ
「ずるい・・・」
「のだめだって前に進まないと!先生、コンクールに出させてください!バッハだってあんなあっさり抜かれちゃって・・・」
オクレール先生「ベーべちゃん、彼とは距離を置いた方がいいよ」
◆とどめ◆
予告「怖いんです・・・先輩のこと好きでいられなくなりそうで」
これはきつい
ああ、確か原作もそうだった・・・
これ後編見るの勇気要るな(どんだけ
パリの街並み、キレイだったなあ・・・!(泣
冬、煩悩、大阪にて。
2009年12月8日 芸術土曜日、大阪に行って友達と遊んできた。本当は先週会う予定だったのだけど、運悪く風邪をひいてしまい、延期になったのだった。
楽しみにしていた小野竹喬展と、念願のまん〇らけ(伏字の意味はあるのか)に行ってきた。まんだ〇けに至っては、以前天王寺にあると思い込み友人と意気揚々と出かけていったが見当たらず、仕方なく恥をしのんで交番のおまわりさんに聞いたところ「アメ村に移転したよ^^」と言われ案の定大恥をかいたという悲しいエピソードがあったので、今回はなにがなんでも行ってやる・・・と異常なまでの執着をみせていた。
話を戻して、小野竹喬の作品はどれも素晴らしかった。若い頃のものから晩年の作品まで、描き方もモチーフも様々だったが、一貫して自然への「するどい眼差し」が感じ取れたように思えた。彼の絵には写実的というよりかは簡略化された造形のイメージを強く抱いていたが、写生はそれとは正反対の、写実性に富んだ徹底した描写だった。
瀬戸内海を見下ろした大パノラマの屏風作品が印象に残った。
会場では終わりがけに、竹喬の制作風景を記録したドキュメンタリー映像が流れていた。
モニターには、刻一刻と変化する自然をスケッチブックに克明に写し取る竹喬の姿があった。
なんだか胸にこみあげてくるものがあった。
ただ、その映像のナレーターの声が古谷徹の声に聞こえてしまい、途中からそればかりが気になるようになってきた。あまりにも気になるので、横で真面目に鑑賞している友人に、よせばいいのに「この声、アムロの(ry」と言ってみたが、即「いや、違うよ^^」と諭された。まんだ〇けへの欲望がこの時既にひょっこりと顔を覗かせていたのは明らかだった。
その後デパートに寄ってぶらぶらと雑貨を見たりした。和雑貨がなんとも乙女心をくすぐる感じだ。やっぱり雑貨は見るに限るぜ・・・とちょっぴり感傷に浸ったりした。
そこのデパートでふたりがマカロンを買うと言い出した。なにやらパリの有名な店が期間限定で出店しているらしい。店の前には女の子たちが列を成している。
買う気はなかったが色鮮やかなマカロンを見ているうちに欲しくなってきた。「折角だしたまにはこういうかわいいものを買ってみようかなヘヘ・・・」と一瞬心が揺らいだが、値段を見て仰天した。その瞬間に私は列から飛び出した。
5分くらい、列の外でマカロンを買うふたりを眺めていた。どうやら家族用にラッピングを施してもらっているようだった。家族のためにお菓子を買って帰るなんて、ふたりともなんて優しい子なんだろうか。現在両親と険悪状態の自分には到底真似できない行為であり、羨ましくもあった。
しかしだいぶ後に、それを私への誕生日プレゼントと言って渡された時は本気でひっくり返りそうになった。
友人は私がマカロンを買うんじゃないかと内心ハラハラしていたらしい。おまけに買うのをやめた私が列から出た時、「なんて空気の読める子だ」と感心していたらしい。
そのイメージのいい勘違いはなんなのか。盛大に吹いた。
とはいえ金を出し渋って買うのを諦めた人間がこんな高級マカロンを手にしていいんだろうか。ふたりは他にもプレゼントを用意してくれていて、思わず泣きそうになった。
まさか今年も友達に誕生日を祝ってもらえるなんて思ってもみなかった。今年の誕生日はついにその存在を両親に忘れられるという最悪な結果に終わっていたので、今この瞬間、それが楽しい思い出に塗り替えられた気がして心底嬉しかった。ありがとう・・・ありがとう・・・!
ふたりも毎日頑張って生きている。自分も頑張ろうと思えた。
そんなこんなで、ま〇だらけで「だぁ!だぁ!だぁ!」と「ときめか!」を買ってこの日は終了。そういえば武内直子先生は今何をしているんだろうか。富樫も仕事しろ。
無駄に長文になった(^o^)
楽しみにしていた小野竹喬展と、念願のまん〇らけ(伏字の意味はあるのか)に行ってきた。まんだ〇けに至っては、以前天王寺にあると思い込み友人と意気揚々と出かけていったが見当たらず、仕方なく恥をしのんで交番のおまわりさんに聞いたところ「アメ村に移転したよ^^」と言われ案の定大恥をかいたという悲しいエピソードがあったので、今回はなにがなんでも行ってやる・・・と異常なまでの執着をみせていた。
話を戻して、小野竹喬の作品はどれも素晴らしかった。若い頃のものから晩年の作品まで、描き方もモチーフも様々だったが、一貫して自然への「するどい眼差し」が感じ取れたように思えた。彼の絵には写実的というよりかは簡略化された造形のイメージを強く抱いていたが、写生はそれとは正反対の、写実性に富んだ徹底した描写だった。
瀬戸内海を見下ろした大パノラマの屏風作品が印象に残った。
会場では終わりがけに、竹喬の制作風景を記録したドキュメンタリー映像が流れていた。
モニターには、刻一刻と変化する自然をスケッチブックに克明に写し取る竹喬の姿があった。
なんだか胸にこみあげてくるものがあった。
ただ、その映像のナレーターの声が古谷徹の声に聞こえてしまい、途中からそればかりが気になるようになってきた。あまりにも気になるので、横で真面目に鑑賞している友人に、よせばいいのに「この声、アムロの(ry」と言ってみたが、即「いや、違うよ^^」と諭された。まんだ〇けへの欲望がこの時既にひょっこりと顔を覗かせていたのは明らかだった。
その後デパートに寄ってぶらぶらと雑貨を見たりした。和雑貨がなんとも乙女心をくすぐる感じだ。やっぱり雑貨は見るに限るぜ・・・とちょっぴり感傷に浸ったりした。
そこのデパートでふたりがマカロンを買うと言い出した。なにやらパリの有名な店が期間限定で出店しているらしい。店の前には女の子たちが列を成している。
買う気はなかったが色鮮やかなマカロンを見ているうちに欲しくなってきた。「折角だしたまにはこういうかわいいものを買ってみようかなヘヘ・・・」と一瞬心が揺らいだが、値段を見て仰天した。その瞬間に私は列から飛び出した。
5分くらい、列の外でマカロンを買うふたりを眺めていた。どうやら家族用にラッピングを施してもらっているようだった。家族のためにお菓子を買って帰るなんて、ふたりともなんて優しい子なんだろうか。現在両親と険悪状態の自分には到底真似できない行為であり、羨ましくもあった。
しかしだいぶ後に、それを私への誕生日プレゼントと言って渡された時は本気でひっくり返りそうになった。
友人は私がマカロンを買うんじゃないかと内心ハラハラしていたらしい。おまけに買うのをやめた私が列から出た時、「なんて空気の読める子だ」と感心していたらしい。
そのイメージのいい勘違いはなんなのか。盛大に吹いた。
とはいえ金を出し渋って買うのを諦めた人間がこんな高級マカロンを手にしていいんだろうか。ふたりは他にもプレゼントを用意してくれていて、思わず泣きそうになった。
まさか今年も友達に誕生日を祝ってもらえるなんて思ってもみなかった。今年の誕生日はついにその存在を両親に忘れられるという最悪な結果に終わっていたので、今この瞬間、それが楽しい思い出に塗り替えられた気がして心底嬉しかった。ありがとう・・・ありがとう・・・!
ふたりも毎日頑張って生きている。自分も頑張ろうと思えた。
そんなこんなで、ま〇だらけで「だぁ!だぁ!だぁ!」と「ときめか!」を買ってこの日は終了。そういえば武内直子先生は今何をしているんだろうか。富樫も仕事しろ。
無駄に長文になった(^o^)
大学時代の友達と、「先生の個展に行く」という名目で遊びに行ってきました^^
相変わらず見事な方向音痴っぷりを発揮した私^^駅から10分の所を30分以上迷い続ける・・・いやーしかし京都ほんとにわっかんね~~~~~
あんな狭い路地の小料理屋を目印になんてわかるわきゃねーだろ!「ご存知〇〇」を南に~」みたいな地図の表示やめてくれw
そんなこんなで無事にたどり着き、久々にじっくり絵を鑑賞することができました。ご本人はいらっしゃらなかったけど、なんか雰囲気ある画廊だったなー、アンティークの置物や家具がいい味出してました。
友達と会うのは数ヶ月ぶりだったので色々話をしていたら、その子も最近本屋でバイトを始めたらしく(ちょw)、 しばし本屋トークに花が咲きました
給料が本やマンガに還元されていくのは書店員のデフォなんですね。わかります。
いやーでも久々にリフレッシュできた感じだ。よかったよかった
最後にふたりして島本和彦の「燃えよペン」を買いました。なんだこれw
相変わらず見事な方向音痴っぷりを発揮した私^^駅から10分の所を30分以上迷い続ける・・・いやーしかし京都ほんとにわっかんね~~~~~
あんな狭い路地の小料理屋を目印になんてわかるわきゃねーだろ!「ご存知〇〇」を南に~」みたいな地図の表示やめてくれw
そんなこんなで無事にたどり着き、久々にじっくり絵を鑑賞することができました。ご本人はいらっしゃらなかったけど、なんか雰囲気ある画廊だったなー、アンティークの置物や家具がいい味出してました。
友達と会うのは数ヶ月ぶりだったので色々話をしていたら、その子も最近本屋でバイトを始めたらしく(ちょw)、 しばし本屋トークに花が咲きました
給料が本やマンガに還元されていくのは書店員のデフォなんですね。わかります。
いやーでも久々にリフレッシュできた感じだ。よかったよかった
最後にふたりして島本和彦の「燃えよペン」を買いました。なんだこれw
似顔絵のアルバイトに行ってきました。
予報どおり朝から雨。会場である住宅展示場に着く頃には本降りになっていて、午前中はモデルルームへの客足もまばら…。
最初の1時間は誰も来ず暇でしたが、昼になり雨が止み出すと、続々と親子連れが。
主にお子さんの似顔絵を描かせていただいたのですが、なにぶん初めての経験で最初の数枚は緊張のあまりうまく描けず。(線がガッチガチ…^^;)
でも徐々に慣れてきて、子供とお喋りしながら1枚15分程度で仕上げられるようになりました。
親御さんがモデルルームを見学している間、子供の似顔絵を描く…という感じだったのですが、気付くと似顔絵のブースは託児所と化していました。
みんなでお絵かき^^なんだこの空間(笑)
それにしてもこいつら上手いなぁ…燃えるような緋色のチューリップ…荒々しい豪快なタッチ。芸術的すぎる…。
うまいねーと感心してたら、「5、6回練習したら絵はうまくなるよ!」と素晴らしいアドバイスをいただきました。そっか…おねえちゃんがんばる。
あとおじいちゃんおばあちゃんに「うちの孫を描いてくれる?」と写真を渡され、それを見ながら描いたりも。うーん、やっぱり孫って特別な存在なのかな?
結局、飲まず食わずノンストップで夕方まで描き続け、かなりの達成感…。
でも全然似てないしうまくないのにとても喜んでもらえて、感無量というか絵を描いててよかったなぁと素直に思える瞬間でした。
喜んでもらえるのはもちろんなのですが、こうやって絵を通じて人とコミュニケーションを取れる事がなにより嬉しいし、久々にアクティブに絵が描けて本当に楽しかったです。機会があればまたやりたいなぁ。
昼からの日差しのせいで日焼けが…!痛いっ
予報どおり朝から雨。会場である住宅展示場に着く頃には本降りになっていて、午前中はモデルルームへの客足もまばら…。
最初の1時間は誰も来ず暇でしたが、昼になり雨が止み出すと、続々と親子連れが。
主にお子さんの似顔絵を描かせていただいたのですが、なにぶん初めての経験で最初の数枚は緊張のあまりうまく描けず。(線がガッチガチ…^^;)
でも徐々に慣れてきて、子供とお喋りしながら1枚15分程度で仕上げられるようになりました。
親御さんがモデルルームを見学している間、子供の似顔絵を描く…という感じだったのですが、気付くと似顔絵のブースは託児所と化していました。
みんなでお絵かき^^なんだこの空間(笑)
それにしてもこいつら上手いなぁ…燃えるような緋色のチューリップ…荒々しい豪快なタッチ。芸術的すぎる…。
うまいねーと感心してたら、「5、6回練習したら絵はうまくなるよ!」と素晴らしいアドバイスをいただきました。そっか…おねえちゃんがんばる。
あとおじいちゃんおばあちゃんに「うちの孫を描いてくれる?」と写真を渡され、それを見ながら描いたりも。うーん、やっぱり孫って特別な存在なのかな?
結局、飲まず食わずノンストップで夕方まで描き続け、かなりの達成感…。
でも全然似てないしうまくないのにとても喜んでもらえて、感無量というか絵を描いててよかったなぁと素直に思える瞬間でした。
喜んでもらえるのはもちろんなのですが、こうやって絵を通じて人とコミュニケーションを取れる事がなにより嬉しいし、久々にアクティブに絵が描けて本当に楽しかったです。機会があればまたやりたいなぁ。
昼からの日差しのせいで日焼けが…!痛いっ
高橋留美子展に行きました。
最終日ということもあって、すごい人。
中に入ってすぐのところでアニメの上映がやってて、早くも人だかりが。全然前に進めない!でも頑張って見て来ました。
うる星、らんま、犬夜叉、めぞん一刻…代表作の原画がズラリ。
食い入るように見てしまった。
漫画の生原稿もありました。
驚いたのは、高橋留美子の名前が印字されている原稿用紙。特注とは…大御所は違うなぁ。どうでもいいところで感動してしまった。
特にらんまはリアルタイムで見ていたので、当時見ていた頃の記憶が蘇ってきて…懐かしいなあ。うる星も再放送でよく見てたなあ。ラムちゃん大好き。
そして、いろんな漫画家やイラストレーターがラムちゃんを描いた作品も展示されていて、こちらも凄い良かった。えぇ、こんな人が!っていう人も参加されてたり。ここは人がすごかったです。特に、いと〇の〇ぢの所。
吉田戦車、古谷実、松本大洋、北条司なんかのラムちゃんが印象的でした。知らない作家さんもいましたが…あ、久米田康二のもあったな。挙げだすときりがない。
久々に美術館行きました。ほぼ半年振り?
ついでに本屋に行って配色の本を買いました。これは重宝しそう。
最終日ということもあって、すごい人。
中に入ってすぐのところでアニメの上映がやってて、早くも人だかりが。全然前に進めない!でも頑張って見て来ました。
うる星、らんま、犬夜叉、めぞん一刻…代表作の原画がズラリ。
食い入るように見てしまった。
漫画の生原稿もありました。
驚いたのは、高橋留美子の名前が印字されている原稿用紙。特注とは…大御所は違うなぁ。どうでもいいところで感動してしまった。
特にらんまはリアルタイムで見ていたので、当時見ていた頃の記憶が蘇ってきて…懐かしいなあ。うる星も再放送でよく見てたなあ。ラムちゃん大好き。
そして、いろんな漫画家やイラストレーターがラムちゃんを描いた作品も展示されていて、こちらも凄い良かった。えぇ、こんな人が!っていう人も参加されてたり。ここは人がすごかったです。特に、いと〇の〇ぢの所。
吉田戦車、古谷実、松本大洋、北条司なんかのラムちゃんが印象的でした。知らない作家さんもいましたが…あ、久米田康二のもあったな。挙げだすときりがない。
久々に美術館行きました。ほぼ半年振り?
ついでに本屋に行って配色の本を買いました。これは重宝しそう。